経絡治療講話

日本が戦争に敗れ、全国民は物心共に極貧の日々を送らねばならなかった。
そして、進駐軍により「鍼灸禁止令」が出る

あんま・はり・きゅう関係者は、学校の生徒までがこれに反対し行動。

敗戦の町々は焼け野原、道路は進駐軍の車が我が物顔に走る。何とかして禁止令を阻止しなければという請願に行く列は、道の端を一列になって進まなければならなかった。そしてハンガーストライキまで行った。
経絡治療(経絡理論の鍼灸)の基礎理論は本間祥白による「経絡治療講和」から始まりました。

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