霊枢「大惑論篇」①

「とても高い山へ登っている際、あがれば段々とさむくなるなか、ふと途中振り返り、向き直して再び前に進もうとすると、精神が不安定になり、物がぼんやり見えるのを感じた。
内心とても驚き、目を閉じたり開けたりして気を落ち着けようとしたが治らなかった。
かえって、めまいがするのである。
やむおえなく、膝をつき俯いて下を向いていたが目眩は収まらなかった。
しかし、突然に治まった。なぜか?」

・五臓六腑の気は、みな上がって目に集まり、これによって視覚機能を生じます。これら精気が集中するところで、精気が合併して眼を形成します。その中
腎の精は瞳孔へ注ぎ
肝の精は黒目へ注ぎ
脾の精はまぶたに注ぎます。
筋・骨・血・気などの精気を包括して、さらに脈と合併して目系を形成し、目系は上行して脳に属し、さらに後側へ向かい項中に出ます。
ですから、、邪が項に侵襲したとき、身体が虚していると、邪気は目系に沿って深く脳にまで侵入し、これによって脳が動きます(脳転)
脳が動くとさらに目系を牽引してぴんと張らせますので、目眩がするのです。
この現象は、邪気が内蔵の精を傷害したことによります。
そのために内蔵の精があまねくゆきわたらなくなり、精気を消耗させ、精気が散じると視歧が生じます。
視歧とは、1つが2つに見えることです。
眼がものをみることができるのは、五臓六腑の精気が注いでいるからです。
眼はまた営衛と魂魄が常に運行するところであり、神気の反映するところであります。
ですから、精神が疲労すれば、魂魄を散乱させ、平常心を失わせます。
一般に瞳孔と黒目は陰に属し、白目と赤脈は陽に属していますので、陰陽の精が合一して、眼の視覚機能が生じるのです。
眼が物を識別識別する働きは、心の指図に従います。
心は神の居所であり、神が乱れて精気を平常通りに眼に輸注できなくなると、突然に異常なものを見、精神や魂魄が散乱して落ち着かなくなり、目眩が起こるのです。

ある場所へ行ったとしても、感情的に好ましく感じていても、精神的には適応しない場合があります。
このように、突然襲ってくる相反する感情の結合は、精と神とを乱し、視覚の錯乱を生じさせ、人に目眩や惑乱を生じさせ、人に目眩や惑乱を感じさせます。

意識が転移すれば、正常に戻ります。
軽いものを「迷」重いものを「惑」と呼ぶ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


前の記事

霊枢「歳露論篇」⑧

次の記事

霊枢「大惑論篇」②